百万の言葉を費すよりも、頬に伝わる一滴の涙のほうが、遥かに多くの心情を物語る場合があります。あらゆる宗教書を読み盡くす以上に、赤ちゃんの微笑は人の気持ちをやさしくしてくれるものです。そう考えると、一体、言葉とは何であるのかと思ってしまいます。
でも、私達は言葉を必要とするのです。しかも、一つの秀れた文章、それも名言とか格言、或いはことわざと呼ばれる極めて短い言葉に出会うと、ものの見方や考え方、時には人生の方向まで、瞬間のうちに変化してしまう体験さえ持つのです。 文字や音(おん)のあんなに小さな集まりのどこに、人間を動かしてしまうエネルギーが秘められているのでしょうか。
実に不可思議な力を所有しています。
もちろんその原点は、私達人間の内側にあります。もしかしたら、「感性」と称される微妙な働きの中に隠されているのかも知れません。つまり、どんなに美しく構成された言葉でも、それを受けとめる人間に、美しいと感ずる心の機能がないと、言葉は単に耳や眼を通過していくだけの作用しかないのです。
心があって、はじめて言葉は話され、書かれ、感性があって受け容れられるのです。そのために必要なのは、素直さであると思います。最初に批評が立ってしまうと、言葉はそれにはね返されて、決して人の頭脳や情緒に響いてきません。名言も格言もことわざも、それを新しい事実を知った驚きの目で見つめ、さらに長い時間をかけても実践してみようとする努力があって、はじめて才能として花開くのです。
人間を変化させるのは、常に行動です。 ここではじめて言葉は結実します。
「知りて行わざれば、知らざるに等し」ですが、その以前に、自分は何も知らない人間なのだと自分を発見し、謙虚に古人が語り、人々が受け継ぎ、感動した言葉を受け入れてみようとする態度がかんじんです。言うまでもなく、そのことを最も痛切に心に刻みつけたのは、他ならぬ私自身なのです。